人口股関節手術を検討されている皆さま、すでに手術を済ませた皆さまへ
障害年金もらえる?何級になる?病歴就労状況申立書がうまく書けない。大切なポイントをお伝えします。中野区の戸田社会保険労務士(社労士)事務所へ。

障害年金請求代行業務 人工股関節手術に至った経緯 人工股関節社労士の闘病日記

人口股関節手術を検討されている皆さま、すでに手術を済ませた皆さまへ

皆さま、こんにちは! JK(人工股関節)社労士の戸田剛と申します。 

こちらのページにたどり着いたということは、自分は障害年金を受給することが出来るのか?
障害年金の手続き方法がわからない。
書類が多すぎて何をしたら良いかわからない。
別の社労士事務所から、「無理です」と言われた。
自分で申請したものの不支給になった。

という方が多いのではないでしょうか。

私、社会保険労務士の戸田剛が人工股関節手術をするに至った経緯のお話しいたします。

人工股関節手術をするに至った経緯

【5歳の頃「ペルテス病」と診断されました】
皆さまは自分が小さい子供だった時の記憶の中で、一番昔の記憶は何歳の時ですか?
わたしは5歳の時の記憶が残っています。
公園ではしゃぎまくって、大陽がキラキラと頭上に降り注いでる景色だったり、夏の日の木にとまっているセミの怖さだったり、おばちゃんの家の階段がとても急で、トイレに行くのが怖くて我慢したり……
5歳だったある日、友達と「コップぱかぱかごっこ」をしていました。
「コップぱかぱかごっこ」とは、写真のような遊びです。

コップに穴をあけて、ひもをくくりつけて歩く遊び。どこか竹馬に似ていますね。 

道路の道端でぱかぱかしていたら、ある時転んで尻もちをついてしまいました。
その時は全然痛みもなく、泣きもせず、再び立ち上がってぱかぱかごっこを友達と楽しんだ覚えがあります。
しかし、その後、当時通っていた幼稚園でのお遊戯だったり移動だったりでなんかツーンとくるような痛みが突然走ることが度々ありました。だからと言って、歩けないほどの痛みではないし、園の友達と走って遊んだりもしていました。

そうしていると、幼稚園の先生から「つよしくん、どこか痛いの?」と聞かれるようになりましたが、はっきりと、「ここが痛い」と先生に伝えることは出来ませんでした。

  両親もわたしのびっこに感づき、わたしを車に乗せ、整形外科病院を何か所か転々と受診したのを覚えています。しかし、どの病院でも出される診断は「異常なし」。 

ただ、どの病院においても、診てもらっていたのは股関節ではなく膝でした。
「何か所もの病院回っても異常なしって先生がいうのだから、大丈夫だろう」と両親は病院回りを止めたのだそうです。
それが発見の遅れの原因になった、と両親は語ってくれました。

やはり、びっこが続き、痛みが増し、とある病院に再度診察へ行ってみると、先生が「今度は膝ではなく股関節をレントゲン撮ってみましょう」と撮ってみたところ、ペルテス病と診断されました。
※1どんな病気?   子どもの股関節の大腿骨の頭の部分への血行が何らかの原因で途絶され、骨の壊死(骨の細胞が死んでしまう)がおこり、骨の強度が極端に弱くなり、放置しておくとつぶれて骨に変形が生じてしまう病気です。
【昭和時代の医療技術と保存療法】
今から、40年以上前の山形県の整形外科の医療技術では、人工股関節にするしかないと言われたそうです。でも、それは忍びないと両親が思ったのか、いろいろと病院を探してくれて、その結果、隣の宮城県にある、病院と学校が併設されているところであれば、保存療法で治せるとのことで、入園することになりました。

小学校1年生から6年生まで入園しました。退園する時、小さかったので鮮明には覚えていないのですが、先生が「つよし君の股関節は右と左、形が違うからね。少しつぶれて治ったからね」、そんなことをおっしゃっていたかと思います。

その後、中学校と高校は卓球部、大学時代は社交ダンスサークル、卒業後はダンサーとして10年間、ディズニーシーなどで踊っていました。その後も、飲食店でのホールや厨房での長時間の立ち仕事も何事もなく出来ていたので、股関節のペルテス病という病から社会的治癒を果たしていました。
【40歳頃から痛みが現れ、48歳で「変形性股関節症」と診断されました】
しかし、40歳くらいから、冬の時期限定で、寒くなると引っかかるような鈍い痛みが走るようになりました。けれど、春先には自然となくなり、またいつもと変わらない生活を送っていました。 

49歳の冬、股関節に激痛が走りました。いつもの冬恒例の痛みよりも何倍も痛く、春になっても治らない。知人友人からは「どこか痛いの?」とビッコを指摘されることが増えました。

これは明らかにおかしいと最寄りの整形外科で診てもらったところ、変形性股関節症と診断されました。何か所かの病院を渡り歩き、令和5年11月20日に人工股関節置換術を受けることになりました。→ここからのエピソードは闘病日記を参照してください。
【皆様にお伝えしたいこと】
わたくしごとで大変長くなってしまいました。ここまで目を通して下さった方、大変ありがとうございます。

言いたかったことは、わたしには障害年金申請に必要な手続きを把握し、書類作成出来る能力があります。それは他の社会保険労務士も同様かと思います。 

しかし、わたしの場合、人工股関節手術を受けたまさに当事者であるので、悩んで相談して頂いた方に対し、さらに寄り添ってアドバイスが出来たり、イレギュラーで難しいケースの書類の作成など、スムーズに進めることが出来るかと思います。人工股関節に対する高い理解力や共感力でもってお客様に寄り添って対応することが出来ます。 

まずは、よく頑張りましたね!!

本当にお疲れ様です!

私の人口股関節手術に至る経緯のお話しはしましたので、今度はあなたの人工股関節手術に至った経緯をお聞かせください。あなたの頑張りをお聞かせください。そこから障害年金申請に向けて、ともに並走して参りましょう!!

人工股関節手術に対する私感

日本整形外科学会学術総会では、「ここ半世紀の人工股関節手術の技術発展は目覚ましく、20世紀において最も成功した手術」とされているそうです。

東京慈恵会医科大学整形外科学講座 教授の大谷先生によると、「インプラントの固定に際し、セメントで固定する場合と、使わない場合があり、双方ともに、技術の進歩により、人工股関節のゆるみ問題は減少し、長期の耐用性が向上した」。

人口骨頭と受け皿との摩耗から発生する摩耗粉が周囲の骨を溶かしたり,インプラントの緩みをもたらし、耐用年数を短くしてきたが、技術の進歩により、緩みの減少、脱臼の減少、長期耐用性の向上をもたらしたそうです。

コンピューター技術を用いたより正確なインプラント設置を可能とするロボット手術も進歩しています。これらのテクノロジーは、インプラントの緩みの減少、可動域の改善、そして脱臼の減少へとつながっています。

後方/側方アプローチが主体であったものが、前方系のアプローチが進歩を続けてきました。この変化は、手術法選択肢の増加のみならず、股関節周囲軟部組織の理解やその取り扱いの技術を大きく進歩させ、低侵襲化、早期回復、脱臼の減少などに寄与しました。

一昔前であれば、股関節が痛くて、人工股関節にしたいが、「まだ若いし、痛みに耐えてもう10年頑張ってみましょう」ということが相当数あったそうです。

わたしの股関節状態は、先生がおっしゃるには「すぐに対処しないといけない末期の状態」だったそうです。
保存療法はあり得ず、手術するしか選択肢のない待った無しの状態でした。なので、人工股関節手術を受けることに躊躇することはありませんでした。比較的、手術を受けるには若い年齢(手術時49歳)だったそうですが、人工股関節手術が目覚ましい進歩を遂げ、著しく長期耐用性が向上しているという情報が手術することに決めたことの後押しになりました。

だからと言って、もちろん、「手術が最良の手段だ」と推奨するつもりは毛頭ありません。保存療法で、適切な運動と適切なリハビリテーション等々で、出来る限り自身の股関節と向き合いながら、労わりながら生活できる可能性もあるでしょうし、あくまで私の考えですが、人工股関節は「最後の最後の最終手段」だと思っています。

 そうなると、温存療法や、「まだ大丈夫」と現状維持をしていくうちに、もし万一手術を受けることになった場合までの期間が相当長くなってしまい、「障害年金という制度があることを知らなかった、あるいは忘れて申請しそびれていた」という状況が多々起こりうるのではないかと思いました。

逆に、私のように、股関節が末期状態で、手術待ったなしと診断されてしまった方は「早期に手術しよう」という方も今後増えてくるのではないかと思います。

どちらにしても、障害年金の認知度が低く身近なものではないことから、受給の機会を逃している方が多くいらっしゃるように思います。 

原則、人工股関節を挿入すると障害者等級3級に該当し、年金の受給権が発生しますので最低額でも月額5万円は受給することができるのです。例えるなら、蛇口を閉め忘れ湯水が出しっぱなしになるかのように、「申請し忘れ、あるいはそもそも障害年金自体知らない」という方が今もこれからもますます散見されるのではと思っています。

そのようなことが起こらないように、人工股関節手術を受けた人には障害年金の権利が発生するということをさらに認知してもらい、もっともっと障害年金制度の周知を広めていくこと、そして、手術を受けて申請する方の心からのサポートを提供していくことが私の使命と考えております。

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